こんにちは、taikiです。
新企画として、小説書きました。よかったらどうぞ。
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大砲の音が道場に鳴り響いた。チャイコフスキーの『1812』に俺は全集中する。
道場では、試合が近い人が好きにBGMを選べるという誰が決めたのかわからない謎のルールがあった。俺は試合前の追い込みになると道場でクラシックをよくながす。チャイコフスキーの『1812』はナポレオンのロシア遠征を題材にしているだけあって、実は格闘技との相性が良い。
道場で聞くクラシックの中でも特に好きだったのがベートーヴェン『交響曲第9番』、いわゆる「ダイク」である。父親が気合を入れたい時に「ダイク」をよく流していた影響もあるのだろう。
今週末に人生最大のビッグマッチが迫っている。
キャリア8年、31歳にしてはじめてメジャー団体から声がかかった。対戦相手は今もっとも勢いのあるストリートファイト出身の格闘家、権田原琥珀(ごんだわらこはく)。権田原のYoutubeチャンネルは登録者数100万人超で知名度も抜群。明らかに俺の格闘技キャリアの中でもっとも注目される試合だ。
いつものようにアップとストレッチから始まり、テクニックの練習をしてからスパーリングで実戦形式の練習を行う。練習の終盤では「ダイク」の熱気に包まれ集中力もピークに達していた。
今日は試合が近いこともあり、若手のストライカー鱗野(ウロコノ)に権田原戦を想定したスパーリングにつきあってもらった。鱗野は21歳と若手らしい機敏な動きで俺のパンチをギリギリのところでかわす。そして、機敏なパンチを打ち返される。
「ん?」俺はちょっとした異変に気付いた。身体の反応速度が若い頃よりもほんの少しだが低下していると感じたのだ。筋力、スタミナでは低下を感じないが、若い頃なら反応できたであろう打撃に身体の反応が若干遅れる。とは言え、数%の誤差の範囲なので、体調の問題だろうと考え、あまり気にせずそのまま続けた。そして僅かな不安を打ち消すように練習に没頭した。翌日の練習でも違和感を完全には拭えなかった。
俺は大学1年の18歳で格闘技をはじめ、22歳でアマチュア戦を経験し、23歳でプロのリングにあがった。プロデビュー戦から2連勝の後、2連敗。パッとしない2勝2敗のキャリア。プロ格闘家だけど所属はローカル団体。ファイトマネーだけで生活ができるほどの稼ぎはない。大学では生命工学を専攻し、大学院まで進学した。卒業後は格闘技に理解があって、専攻も活かせる食品メーカーの研究開発部門に就職して、格闘技を続けた。二足のわらじ状態。試合のたびに会社の人達が応援してくれることは仕事、格闘技の両方で力になった。仕事にも慣れてきた頃から「副業」の格闘技も少しずつペースを戻し、社会人2年目には再び試合をするようになった。
格闘技は身体能力に注目が集まりがちだが、ある程度実力が拮抗してくると頭脳戦の様相を呈してくる。格闘技を喧嘩の延長だと思っているようなファイターを頭脳戦で打ちのめすと最高に気分がよかった。社会人になったあとは破竹の7連勝。9勝2敗とトラックレコードも綺麗になり、ローカル団体とは言えチャンピオンにもなった。ローカル団体のチャンピオンはメジャー団体の目にとまるために存在している。今回は対戦相手の知名度的にも最高においしい。絶対負けられない戦いだ。俺は強い。俺ならいける。
だが、試合には負けた。
キャリア初のKO負けだ。練習の時に感じた違和感が的中した。僅かな身体能力の衰えに気付いていたが向き合わなかった自分が今は恨めしい。
敗北は悔しいが、腐ることなく練習は続けた。試合後の練習初日、BGMを流そうとしたら、先日の「ダイク」がそのまま残っていたのでそのまま流した。試合前の追い込んだ練習が脳裏にじんわりと呼び戻される。
ベートーヴェンはこの曲を晩年の52歳で書いた。ベートーヴェンは20代の頃から難聴が始まって、40歳で完全に音が聞こえなくなったと言われている。俺で言えば身体がまったく動かない状態だ。しかし、ベートーヴェンは音の聞こえない世界で聞こえてきた音を曲にして、自分でない誰かに演奏をしてもらうことで表現した。第四楽章の合唱では人生の素晴らしさ、愛する者がいることの素晴らしさを歌っている。音楽家として耳が聞こえない状態でそれでも人生は素晴らしいと言えるベートーヴェンの音楽に対する力強い想いとエネルギーを見習いたい。
そんなことを考えながら、若手の練習をぼんやりと眺めていたら、後輩のダイゴが不甲斐ないスパーリングの言い訳をしていた。
「怪我があったのでやりたい技がスパーリングで試せなかった」
先輩のスドウが違う角度から返した。
「自分で出来ないなら、誰かにその技を教えて、スパーリングで使ってもらって検証すれば試したことになるじゃん。自分の身体でやらなくてもいいんじゃない?」
このやり取りが「ダイク」にオーバーラップしてきた。
格闘技は自分の身体を使ってやるものと思っていたが、必ずしもそうじゃない。確かに自分の身体を使ってやることが前提になっているが、格闘技は本質的には頭で考えて、それを動作に落とし込むことだ。とっさの判断や瞬発力もその正体は思考の瞬発力と言える。極論を言ってしまえば、自分の身体を使わなくても格闘技はできるのだ。
格闘技における本当のコアは思考であり、戦略を考える頭脳。身体操作の部分をアウトソースしたっていい。
そう考えると年齢と共に身体が動かなくなることは恐くなくなった。本当に怖いのは頭が動かなくなることだ。晩年のベートーヴェンも耳が聞こえなくなるよりも脳内で流れる音楽が流れなくなることの恐怖と戦っていたのだろう。
俺は指導者としての道を歩むことにした。
しかし、格闘家は引退していない。
生涯格闘家として頭脳が動く限り俺は戦い続けるのだ。
参考
チャイコフスキー『1812』
ベートーヴェン 交響曲第9番 第4楽章